学校を批判する

江戸時代には、武士たちは藩校と言う学校に通っていたが、それ以外の民は、一部は寺子屋に通っていた。
その寺子屋では、現在の学校教育より優れた教育が行われていた。

例えば、現在の学校では、生徒がずっとイスに座りっぱなしであり、この体勢を続けるのは健康に悪い。
さらに、一人の教師が30人ほどの生徒に対して同じ速度で教えていく。
これが寺子屋だと、個別教育なので、一人一人学んでいく速度は違う。
さらに、寺子屋では教師が教える勉強の内容は、教師自身が決めていた。
現在の学校では、教師が何を教えるか、どのように教えるかは全て、文部省の指示で行われる。

このように、現在の学校教育より寺子屋での教育の方が優れている。
そもそも、明治時代になって西洋から学校制度が入ってきた訳だが、それによって日本各地の寺子屋を取り壊して学校を普及したのが、大きな間違いだ。
もし学校を普及するにしても、寺子屋も残しておいて、どちらに通いたいかはそれぞれの生徒に選ばせるべきだった。

さて、そもそも学校と言うのはなぜあるのか?
その目的とは一体なんなのか?
それは、富国強兵。そして、優秀な軍人と労働者を量産すること。
それはどういうことなのか? 説明する。
明治時代、日本は外国の侵略を跳ね返すため、優秀な軍隊、およびたくさんの軍人を必要とした。
さらに、強力な軍隊を維持するにはかねが要る。
そのため、国を豊かにする必要がある。
そのためには、たくさんの優秀な労働者が必要だ。
このように、明治になって日本はたくさんの優秀な軍人と労働者を必要とするようになった。
そのために造られたのが学校だ。
そもそも、優秀な軍人と労働者とはどのような人かと言うと、
先ず、上司の命令には服従し、規則を守り、時間を守り、上司の指示に疑問を持たず、字の読み書き、数の計算などができる、
そのような人物が優秀な軍人、労働者だ。
そして、学校では生徒は教師の命令に服従し、学校の規則を守り、時間を守ること、教師の指示に疑問を持たないことなどを教え込まれる。
これが行われるのは、学校の目的が優秀な軍人と労働者を造ることにあるからだ。
このような教育が行われることの問題点は何か?

まず、優秀な労働者とは、即ち工場で働く単純労働者のこと。
このような仕事は、機械化が進むごとに減っていく。
これからの時代に求められる仕事に適応できてない。
さらに、学校で勉強すると、勉強以外の余計なことを考えず、勉強のことだけ考えるように言われる。
そしてその指示に従う思考停止した従順な人間ほど高い成績をとる。そして社会の中で高い地位につく。
このように、学校教育が普及するほど無能な人間が社会の中で高い地位を占めるようになる。

このように、学校と言う制度は存在するだけで社会に巨大な害をもたらす。
もし字の読み書きを教えたいなら、その辺の塾で教えれば十分だ。
学校なんてものは、存在すること自体が間違いだ。
全ての生徒は学校に行くのをやめるべきだし、
全ての親は子供を学校にやるのをやめるべきだ。

そして一刻も早く、学校と言う制度をこの世から消し去るべきだ。