信じるとは何か?疑うとは何か? 判断②

疑うことは過程、信じることは結果

多くの人は、疑うことは否定することだと思ってる
だが、疑うことは否定することではない

多くの人が思ってるのが、信じる=肯定、疑う=否定、と言うこと
だがこれは間違い。むしろ信じることは否定することだと言って良い
どういうことかと言うと、次のように考えれば分かる

まず「信じる」には二つの意味がある
それは、あると信じる/ないと信じる
もしくは、正しいと信じる/間違ってると信じる
正しいと信じるとは、肯定すること
間違ってると信じるとは、否定すること
よって「信じる」には肯定と否定、二つの意味がある

さて、では信じることが肯定と否定なら、疑うとは何か?
疑うには、二つの意味がある
それは、あるを疑う、ないを疑う
もしくは、正しさを疑う、間違ってることを疑う
言い換えると、肯定情報を疑う、と、否定情報を疑う

このように疑う場合「ある」を疑うだけでなく「ない」を疑うことも疑うと呼ぶ
だが世間一般では「ある」や「正しい」の場合だけ疑うことが多い
その逆の「ない」や「間違ってる」を疑うことは少ない

例えば、自分のことを疑り深い人間だと思ってる人でも
「神がほんとにいるのか疑う」ことはあっても「神がほんとにいないのか疑う」ことはしない場合が多い
だが「ある」場合だけ疑ったのでは、疑い方としては不完全だ
「ある」だけでなく「ない」場合も疑ってこそ、完全に疑ったと言える



人はどんな時、何かを疑うのかを考えると、それは何かを信じてる時だと言える

例えば自分が何かの情報を「正しい」と信じてる時、その人が
「その情報が間違ってる」と、自分の意見に反対する情報に触れた時、その情報を疑う
だが「その情報が正しい」と、自分の意見に同意する情報に触れた時、その情報を疑いもせず鵜呑みにする

逆に自分が何かの情報を「間違ってる」と信じてる時、その人が
「その情報が正しい」と、自分の意見に反対する情報に触れた時、その情報を疑う
だが「その情報が間違ってる」と、自分の意見に同意する情報に触れた時、その情報を疑いもせず鵜呑みにする

このように人は、自分の意見に反対する情報は疑うが、自分の意見と同じ情報は疑いもせず鵜呑みにする

何かを強く信じれば信じるほど、自分の意見と逆の意見を疑うようになる
即ち、信じる心が強い人ほど疑り深い



「信じない」と言う言葉は使わない方が良い
なぜなら、事実を正しく認識できなくなるから
どういうことかと言うと
「信じない」と言う言葉を使ってる人は、実際には「信じてる」場合が多い
例えば「神の実在を信じない」と言ってる人は、実際には「神が実在しない」と信じてる
このように「信じない」と言う言葉を使う人は、実際には
「実在しないと信じる」もしくは「間違ってると信じる」状態にある
それなのに「信じない」と言う言葉を使えば「自分は何も信じてない」と錯覚することになる
このように「信じない」と言う言葉を使ってる人は、事実を正しく認識できてない
なので「信じない」と言う言葉はなるべく使わない方が良い
代わりに「実在しないと信じる」や「間違ってると信じる」と表現するのが正しい



「疑う」は、2×2で4つある
新しい情報を疑う、既に知ってる情報を疑う
肯定情報を疑う、否定情報を疑う
これを組み合わせると
新しい肯定情報を疑う 新しい否定情報を疑う
既に知ってる肯定情報を疑う 既に知ってる否定情報を疑う



人は疑う時、新しい情報は疑うが、既に知ってる情報は疑わない
もっと言えば、新しい情報が既に知ってる情報と食い違う時、その新しい情報を疑う
だが、その既に知ってる情報が正しいと言う根拠は、多くの場合で、ない
新しい情報を疑うだけでなく、既に知ってる情報にも疑いの目を向けるべき



疑うこと=情報を集めること



疑うことの裏には不安の感情がある
疑う人は不安の感情に流されている
「疑う」と言うのは理性的な行為に見えて、実際は感情的な行為だ



判断=いくつかの選択肢の中で選択すること
判断=真偽判断(あるない判断)、善悪判断、同じと違う判断

決断=するかしないか決める、いくつかの選択肢の中からどれを実行するかを決める

正しい判断とは、真実を真実とみなし、偽りを偽りと見なすこと
間違った判断とは、真実を偽りと見なし、偽りを真実と見なすこと

すぐ人を信じる人は、偽りを真実と見なすと言う過ちを犯すことが多い
逆に疑り深い人は、真実を偽りと見なすと言う過ちを犯すことが多い
それ故、ただ疑り深いだけの人は判断力が低い



疑うことに代わって必要なのが
理解力 考える能力 判断力 反省して思い込みから抜け出す能力

判断力が高ければ、疑わなくても間違った判断をくだすことはしにくい

反省して思い込みから抜け出す能力が高ければ、間違ったことを信じても、すぐそこから抜け出せる
よって強く疑わなくても間違いを犯しにくい

理解力と考える能力が高ければ、疑う代わりに考え理解することで正しい答えを導き出せる

この四つの能力があれば、あまり強く物事を疑う必要がなくなる
この四つの能力が低い、言い換えれば知能が低い人は、疑うことに頼る必要がある

「疑う」と言うのは、知能が低い人にこそ必要なものだ
知能が高ければ、あまり疑うことはしなくなる
その代わり、考え、理解し、判断し、反省するようになる